ギリシャ風の祝い方
投稿日:2013年3月31日
今日は、Easter Sundayと呼ばれる、とても特別な日です。
イースターの祝日は暦の上で何月何日とは決まっていません。春分後の最初の満月の次の日曜日という決まりによって定められているからです。確かに、満月は数日前。そして、その満月は、ものすごい光を放つすごい満月でした。人間のいとなみの長い歴史と宇宙と人間の精神性とのつながりに、なにかとても厳かなものを感じます。
祝い方は、どの文化に属し、どの宗派に属すかによっても大分違うようです。長い歴史の間にそれぞれの文化によって祝い方が違い、それぞれの伝統を大事にしてきたからでしょう。祝う時期も違えば、四旬節(キリストの苦痛を共にするために断食や懺悔を行う復活祭前の40日間)の過し方もかなり違うようです。
オーストラリアは、ギリシャについでギリシャ人がたくさん住んでいる国で、メルボルンは、アテネの次にギリシャ人の人口が多いのだそうですが、メルボルンには、ギリシャ正教の教会がたくさんあります。あるギリシャ人の友達の家族は、こんなふうにイースターを迎えるといいます。
祝う時期は、必ずしもカトリックが祝う時期とは限らず、キリストの最後の40日間を思い出して過ごす四旬節(Lent)は復活祭に至るその前の40日間)がとても大事な時で、たくさんの人たちが聖体拝領(キリストの聖体を象徴するパンと霊の象徴のワインを神父から授けられること)を受けるために教会に行くということです。
ギリシャ人は復活祭にそなえて断食し、40日間動物製品は一切食べることは許されないということ。ミルク、チーズ、ヨーグルト、肉、魚、卵は食べられず、野菜、くだもの、パン、米、パスタが主。でも、現代の生活では、これ以外のものを食べないのは、とても難しいので、断食はできるだけということになっているということ。
断食する理由は、体を浄めるため。他の人に親切にしたり良いことを考えるのはいつでも大事なことですが、心も純化するために、この四旬節には、いつもよりもさらにその思いへの意識を強め、それから、聖体拝領を受けるのだそうです。
以下は、その友人の説明です。
「復活祭を迎える週は、ほとんど毎夜教会に行き、毎晩、キリストの最後の日々を思い出す。木曜日には、キリストの最後の晩餐、最後の食事を思い浮かべる。
金曜日には、キリストの死に思いを馳せる。この時の教会での儀式は特に美しく、ギリシャ人にとってはとても特別なもの。ふだんは教会に行かない人々もこの日はなんとしてでも教会に行くようにする。この日の夜の教会の中では、キリストが横たわっていることを想像した棺を見ることができる。棺は花や甘い香のするハーブで飾られ、棺の中には、キリストのイコン(東方教会が使うキリストの画像)が入っている。教会に入ったらすぐに棺にキスし、それから神父様の話を聞く。その後棺は表に担ぎ出され、人々がそれに従う。棺は教会の周囲の通りを20分間くらい担がれ、人々もそれについて歩く。一人一人がキャンドルを持ち、棺の後ろについていく。教会に戻り、中に入る時は棺の下をくぐって入いる。人間が犯した罪を許してもらい、もう一度もっと良い方法でやり直す機会を与えてもらうことを願いながら。
次は土曜日の夜。この日もとても特別。なぜならば、キリストが死から復活して天国に行く日だから。真夜中の12時寸前、教会の灯が全部消されて、真っ暗になる。12時ちょうどに灯りがともされ、神父様が祝福の言葉を述べ、特別なキャンドルに灯がともされる。だれもがカラフルなキャンドルを持ち、神父様のキャンドルの灯をもらって自分のキャンドルに灯をつけ、「復活の続唱」という歌を歌います。夜中の2時頃に教会での儀式が終わって家に帰り、そこで断食が終了。
イースター・サンデー。これは家族との日。おじいちゃん、おばあちゃん、いとこ、おばさん、おじさんなどみんなが集まってお祝い。小さなこどもがいるところには、イースター・バニーがやってきて、家族のみんながそれぞれに、新しい生命のシンボルである卵を与え合う。私の家では母が本物のタマゴを染めて茹で、昼食の時にタマゴでゲームをする。ギリシャに特有の習慣で、タマゴをみんなで一緒に割り、タマゴの殻が破れなかった人が勝ち。その年の幸運を担う人となる。
ギリシャ人にとっては復活祭はとても大事な時。なぜならば、もっと良い人になれるチャンスを得る時であり、家族と一緒になれる時だから。」
イースターについて、とてもいい説明をいただきました。
文化がどんなふうに成り立っていくかの一端を見る思いです。そして、信じる神様が誰であれ、どんなものであれ、もともとは、人々の心を浄化し、他の人々との関係を上手に保つためのものである宗教の根本が、こんなふうに脈々と年中行事を通して生きていることに改めて感動します。