無限大の可能性
投稿日:2013年5月8日
実は、ICETの学習にとっては、極めて大事な、そして、意味深い瞬間なのです。たまたま、11年生が別の行事でいないのですが、ここには、3年生と1年生が座っています。
恐ろしく、パワフルな瞬間です。
3年生は、外国で暮らす体験から得たこれまでの生活の知恵、英語を通して学んだ知識を1年生に伝授しています。1年生にとっては、喉から手が出るほどに、もぎ取ってでも欲しい知恵と知識です。
3年生たちは、6月の末に開催されるURA Forumについての伝統を伝えながら、1年生が自分たちが主催者であるという意識を持てるよう、そして、フォーラムで活躍できるよう、いろいろなアイディアを引き出しています。
1年生は、3年生の導きの元に、どんどんと引き込まれていきます。
この座談で起こっていることは、過去と現在と未来をつなぐ、学生どうしの学びあいです。この絆、この結びつき、この精神が、ICETの生徒たちの宝物のひとつとなっています。互いに教えあう、互いに学び合うということが、毎日の生活の中で、ごく自然に行われていることの恩恵には計り知れないものがありましょう。
円になって座り、互いの力と知恵を合わせて、URA Forumというひとつの行事を構築するプロジェクトを立ち上げようとしている瞬間です。
こういうところを見ていると、普段から、生徒たちは、互いの安全を守り合い、切磋琢磨して学びを高め、留学生活を良いものにしようとしているのだな、ということが感じられます。本当にパワフルな子どもたちです。
昨日、たまたま、12年生のある生徒と話す機会がありました。
「ともかく、愉しい。毎日が愉しくて仕方ない。すごくいい気持ち。」と言います。何が愉しいかというと、将来を考えること、そして、今、自分が無限大に広がっている可能性の前に立っていることを実感し、将来に何ができるか、どんな達成があるか、それを考えることが本当に愉しいというのです。
自分が将来したいことをどこで叶えるのか、選択肢に今直面しています。どちらを選んでも自分がしたいことができる、そして、今の自分を遥か先に持っていける可能性とときめきがたくさんあるので、どちらを選べばいいかわからない、迷う、迷う、と言います。でも、「迷う」と言う表情が愉しそうに輝いています。選択肢があることは、それだけの実績を積んできたということに他なりません。
彼がここまで愉しいというのは、ひとつの未知の領域を自分の努力で切り抜け、まったく新しい世界を自分の前に広げることができたからです。その未知の領域に飛び込むには非常な勇気が要り、そして、暗中模索の中にいる間は、不安や絶望やあきらめてしまいたい誘惑やいろいろな気持ちと闘わなければならない毎日が続きました。
その中で、自分に規律と厳しさを課し、それが実るという確実性がなくても、努力を継続してきました。そして、その長いトンネルを抜け出たところで、全く違う光が射している広い世界に遭遇し、その喜びを今、体全体で感じているのです。
そのトンネルは、まさに「国境」でした。その境目を飛び越えることで、前と後では違うメンタリティを持つことになった線だったからです。飛び越える前の自分と飛び越えた後の自分は、別の自分というほどに違うものを発見する大きな体験の境目となったからです。未知のものに挑戦するかしないか迷い、未知が怖いという思いにかられたのがトンネルの前、トンネルは暗中模索の暗い実体験、そして、今まで存在を知らなかった新しい世界が通り抜けた後。
新天地に立ったこのすばらしい感動は、トンネルを通る勇気を持ったから、そして、どこまでも続くように思えるトンネルを潜り抜ける努力と忍耐力を自分に課す強さがあったからです。
「未来の可能性は無限大。その無限大に挑戦することが愉しい」と語る若者の体全体に自信を感じました。歩いていく後姿にさえも、心に満ちる自信と誇りがにおい出ているかのように感じました。なんとも頼もしい限りです。