Mother’s Day

投稿日:2013年5月11日

明日は、Mother’s Dayです。

日本でもカーネーションがその象徴になり、お母さんに感謝する日となっています。オーストラリアでは、各家庭にとって、とてもとても大事な日です。

丸1日かけて、お母さんに感謝する儀式が続きます。朝、お父さんと子どもたちが朝食を作り、お母さんのベッドまで運ぶことから始まり、レストランに行ったり、ピクニックに出たり、家族といろいろなことをするだけでなく、ありとあらゆるプレゼントが贈られます。命を授かったことから始まり、普段マムがすることすべてに感謝の気持ちを込めたカード付きで。

今日、たまたまショッピングセンターに出る用事があったのですが、1000台以上留められる駐車場が満杯で、ここまですごいのかと改めて思いました。

国によってMother’s Dayは異なりますが、母が子どもの幸せを願う気持ちは、国が違っても文化が違っても同じでしょう。

でも、何が起こるかは、国により、時代により、文化により大きく違います。

バングラデッシュでは、崩壊して千人以上もの死者を出したビルの瓦礫の下から17日ぶりで若い女性が救出されました。生存をあきらめていただけに、彼女のお母さんの喜びは、言葉では到底表せないものでした。

アメリカでは、10年にも亘って監禁されていた3名の若い女性が解放されました。十年の間に3人兄弟の男たちに誘拐され、ここには書けないようなひどい仕打ちを受けてきた3名は、しばらく病院で過ごした後で、それぞれの家庭に戻りました。生存をずっと信じていたというお母さんたちは、再び逢えた喜びと、大事な娘たちが10年耐えてきた事実を現実として受け止めなければならない痛みに遭遇しています。

あるテレビ番組で、1600年の東インド会社設立に始まったイギリスの統治下において、イギリス人の将校や兵士や商人たちは、インド女性と結婚し、混血の子どもたちをたくさん産むことが奨励された。そうすることが、イギリスの統治をしやすくするからだという意図があったということです。それが、1700年の半ば頃になると、Anglo-Indianと呼ばれる混血の人々の層が厚くなり、社会的な力を持つようになったことが本国には脅威と映り、弾圧をはじめるようになります。母親となっているインド女性が通った痛みは大変なものだったでしょう。

オーストラリアにイギリス人が出現し、アボリジナルの人々を殺戮し、土地を奪い、生き残った人々を内陸部に追いやったのは、ちょうど、インドで、そうした弾圧が行われ初めてからの頃のことです。オーストラリアで混血がそれほどに起こらなかったこと、そして、その後に混血の子どもたちを取り上げてしまうような政策が実施されたのは、イギリス本国で、植民地の女性とのあり方について、ある認識が起こり始めていたことが、後にオーストラリアで起こったことに多いに影響していたことが見えてきました。

その結果、白人の男性とアボリジナルの女性の間に産まれた子どもたちは、みな、母親から取り上げられ、孤児院や施設や教会に送られてしまいました。国策として。先日のキャンベラの国立博物館のデボラさんの人生も本来あるべき姿から歪曲されたものになってしまったのですが、デボラさんのお母さんが精神的にその事実に向かい合うことができなかったというその悲劇が生み出す苦悩は、子どもを奪われた母親にしかわからないものでしょう。

人類の歴史の中には、母親の数だけ、それぞれに違う物語が存在するのでしょう。

生徒たちは、みな、明日に向けて色々考え、いろいろな準備をしていることでしょう。他に何の不安もなく、お母さんに感謝することだけを考えばいいのは、本当になんて幸せなことでしょう。今の時代の、日本、そして、オーストラリアに生きていることは、本当にありがたいことです。

 

 

 

 

 

 

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