言語と学習の時期
投稿日:2013年5月28日
日本では、いつ英語を学び始めるのが適宜かという議論が盛んに行われてきています。
早いほうがいいという学者たち、いや、日本語をきちんと学習してからでばないと危険だという学者たち。
オーストラリアのように多種多様の人種と言語が混じっている国においては、こういう類の議論は起こりません。生まれた時から二言語、三言語の中で生活している子どもたちが多数いるからです。一言語の中で育った子どもよりも多少話し始める時期が遅れても、話し始めたら、どの言語をどの場面で、どの人を対象に使ったらいいということを自然に修得しているという話をよく聞きます。
ニュース源を的確に押さえていないのですが、言語学習に関するあるラジオの番組で、二言語を学習し続けている子どもの脳のほうが一言語の学習をしている子どもよりも発達していて、成人してからより知的な思考ができる可能性が広がっていることがロンドンの大学で行われたリサーチでわかったと言っていました。
20数年前から5年間ほど13のオーストラリアの高校と日本の高校の間で交換留学を実施するプログラムの指揮を執っていた際に、そういう学校を頻繁に訪問しました。その時に、共通に言われていたことは、「10年生(高校生)以降になって外国語を選択授業で選ぶ生徒たちは、揃って成績のよい生徒であり、大学進学を考えている生徒たちである」ということでした。特に、日本語を専攻していた生徒たちは、優等生として扱われている生徒たちが多かったです。
不思議なことですね。そして、オーストラリアには、二ヶ国語、三ヶ国語を話す子どもたちがたくさんいます。特に、シドニーの西の方面の学校では、学校の全校生のほとんどが二ヶ国語を話すことが当たり前の状態になっています。ほとんどは、小さな頃から家庭の中で学んできます。そして、学校にあがるようになると、地域には、「古典ギリシャ語」「アルメニア語」「イタリア語」といった自分たちの文化遺産として言葉を教える学校がたくさんあります。
だから、日本のようにいつ英語を教え始めたらいいのかという議論をするのは、ある意味でナンセンスなのです。なぜなら、答えは、わかっているからです。早ければ早いほどいい、と。
ただし、そこで問題となってくることがいくつかあります。
誰がどういう方法で教えるのか? (これは、正確な音とイントネーションを覚えるため)
英語を自然に使う環境をどのくらい整えられるか? (言葉はそれを使う環境にあればあるほど、深く習得します)
まったくのバイリンガルでなければ、どちらが倫理的思考を司ることができる言語となるか? (これが日本語であれば、第二言語の英語の学習は、日本語の発展度に大きく依存することになります)
ということです。
こういう問題があるから、日本では、いつから教えるのが適宜なのだろう、という疑問が起こってくるのでしょう。
「Nativeのように英語に上手になる」と必死にがんばっている生徒たちがいます。今の勢いで突撃を続けていたら、本当にその願いを叶えることができるでしょう。高校生なら遅くない!
私たちの役目は、生徒たちができるだけ第二言語である英語に晒され、その音の中に飛び込み、その音を浴び、思い切り表現する場を作り、それを奨励していくことです。
そして、これから小さなお子さんたちの英語教育を考えてみえる方々は、いい発音が身に付くような方法を確かなものとすることですが何よりも大事でしょう。