大阪青年会議所のPCYプログラムとICETのURA Forum
投稿日:2013年5月29日
今日は、心がときめくことがふたつありました。
ひとつは、大阪の青年会議所ですばらしいプログラムが運営されていることを知ったことです。たまたま、個人的に知っているバングラデッシュのAUW(Asian University for Women)の卒業生が応募したことから知るに至ったのですが、ICETの卒業生たちにピッタリのプログラムです。
大学に入学してから、学部や大学によって、こうした催しに頻繁に従事する学生もいます。一方で、英語でいろいろな国からの人々とこうした生きたディスカッションをして、未来に続くネットワークを築き、留学したことが活きる場になかなか出会わない学生たちもいます。そんな学生が生き返るようなときめきを感じるようなものではないかと思います。
今年はもう締め切られてしまったようなのですが、来年アプライできるようじっくりと準備したらいいでしょう。ともかく、こういうものが存在するということが嬉しいことです。
ICETでは、規模は比較にならないほどに小さいのですが、ICET主催のURAフォーラムというのを毎年開催しています。おととしまでは1日だけだったのですが、去年から2日間になりました。
主旨も内容も非常によく似ています。でも、大きな違いがあります。それは、このPCYのプログラムが実践を目的にしていて、会議後すぐに、自分たちの国でいろいろなことを実行するためにアイディアを出し合うことです。
ICETのフォーラムは、まだ、実践の伴わないアイディアだけの段階で止まっています。国際的にどんな問題が存在するのかを認識し、それに関して様々な角度の見解があることを知り、知らないことに対する理解を深める、という段階にあります。将来に向けて、という段階です。
その段階に留まっているには、3つの理由があるように思います。ひとつは、彼らの年齢です。URAフォーラムは、高校生が対象なので、参加者のほとんどが、社会の中での実生活の体験がほとんどありません。それに加えて、様々な文化背景の生徒がいますが、いずれもオーストラリアという極めて豊かな国に暮らしているので、何も不足のない生活の視線からしか世界を見ないので、世界の現状の実質的な理解に欠けます。
これが、どれだけ大きな意味を持つかというと、ベトナムを始め東南アジアの国々からの生徒たちは、高校生であっても、国の実情をしっかりと理解していますので、国のために勉学し、国を富ますために自分が活躍し、国に貢献するという強い意識をもっています。日本の高校生の多くは(ICETの生徒ではないですよ、笑。最初はそうであっても、ここにいる間に次第に変わります)いい大学に入るためにいい点数を取るという意識で高校生活を送っているのではないでしょうか。
二つ目は、世界情勢に対する知識です。
ディスカッションの内容を深いものにするためには、まず、世界の情勢に対してある程度の知識があり、問題意識を持っていることが前提となります。日本人の子どもたちは、概して、こうした世界情勢には、とても疎いのです。恐らく、日本があまりにも恵まれすぎているために、日々の生活の中で、日本以外の国々に関心を向ける機会があまりないのでしょう。こちらに来てから、世界の現状に関するニュースに関心を持つよう授業の中で仕向けていくのですが、意識が開拓されるまでには時間がかかります。
ニュースを得ることも、理解することも、単に学習の一環としてのことであって、急務として自分たちが何かをしなくてはならないという実感を持つまでにはなかなか至りません。
3つ目は、ディスカッションの言語が英語であるということです。日本から留学に来てまだ半年にもならないこの段階でのフォーラムは、知識の上でも言語の上でもちょっと過酷です。でも、国際フォーラムの企画運営という貴重な体験は、12年生にはぜひとも体験してもらいたいものであり、また、いろいろなことがわかっている12年生でなければ実質的に動くことができません。その12年生が、7月になれば、受験体制に突入しますので、どうしても6月末になります。
PCYプログラムは、嬉しい発見でした。
もうひとつのときめきは、「オーストラリアン」誌に今朝掲載されたある記事によるものです。
有るユダヤ人の高校生が通りを歩いていると、通り過ぎたバスの大勢から人種差別の侮辱的な言葉がたくさん飛んできた。たまたま隣の学校なので、その生徒たちが罰せられるようにするのは、そう難しいことではなかった。しかし、それを聞いたユダヤ教の州代表が、その生徒を含めてある会を開いた。20名のカトリックの学生、20名のユダヤ教の学生、そして、20名のイスラム教の学生が集まり、互いに、違う宗教が理解できるよう、直接的な質問をぶつけ、話し合う場を持った。互いが得た恩恵はとても大きなもので、それから9年経った今、昨日NSW州大学で開催された会には、1500人の学生が集まった、という記事でした。
その会の名前がRUA。ICETのURAとは、アルファベットの順番が違いますが、中身は、全く同じ言葉なのです。Respect (尊重)、Understanding(理解)そして、Acceptance(受容)。偶然とはいえ、思わず、心が躍るような瞬間でした。
新聞で紹介された会は、宗教と人種差別に視点を置いています。
ICETのURAは、違う文化の人々が尊重しながら共生するために文化の理解を深めることが主点です。文化や価値観の違いを発見し、すり合わせを行う場です。
大阪のPCY、NSW州大学でのRUA、それに比較したらICETのものは極めて小規模なのですが、ICETの教育が提供していることの主旨も方向性も社会や世界のニーズに直接に応えるものであり、いわば、時代の先端を走るものであることの確認ができたことが、嬉しいときめきとなりました。