落ちこぼれ、どうして起こる?

投稿日:2013年6月2日

晴れたり、暴風雨になったり、すごい天気の1日でした。

シドニーはもうすっかりと晩秋/初冬の季節になりました。

まずは、お詫びです。土曜日の早朝からEメールが機能しなくなり、月曜日までサーバーを回復させることができませんので、この間にEメールを送ってくださいました方、私からの返信がありませんのは、そういう訳ですので、数日の遅れをお許しいただければ幸いです。

さて、先日から英語学習に関して、何度か掲載してきていますので、それについて、何回かに渡って、考察をもう少し深めてみたいと思います。

移民の国であるオーストラリアは、英語を母国語としない人々が、1日も早く英語で勉学し、英語で仕事をし、英語で生活できるように鍛えることを絶対条件のひとつとしています。英語が話せなければ、オーストラリアの国籍を得ることはできません。従って、すばらしい教材、高い能力を備えた先生がたくさん生み出されています。ICETは、その恩恵の下で、英語が将来の道具となるよう徹底して子どもたちに教えることを専門としている機関です。

そこでの20年余の歳月の観察ですので、英語教育に関しての見解への信憑性は置いていただけるものと思います。

「教育七五三」という言葉を耳にされたことがあると思います。

瀧井宏臣氏の著書のタイトルですが、日本の学校教育の中で落ちこぼれになるのが、高校で7割、中学で5割、小学校で3割ということを表している数字です。瀧井氏は、子どもたちの学力が低下している理由をさまざまな角度から研究し、その理由を取り除けば、あるいは、改善したら、子どもたちの学力の向上は十分に期待できると論じています。

 識字率99%、世界のほかのどこの国も成し得ない驚異的な数字を持つ日本で、高校生の7割が落ちこぼれ???!!

企業で、成功率がもし30%しかなかったら、その企業は、一体、どのように評価されるでしょう? 存続すら危ぶまれるのではないでしょうか? 一体、成功率が30%って、どういうことなのでしょう? 落ちこぼれていくのは、子どものせいなのでしょうか? 子どもの学力が落ちているということは、子どもに原因があるということなのでしょうか?

教育の内容、システム、カリキュラムの作成、指導要領などは完璧なのに、子どもがそれについていけないということなのでしょうか? 日々の教える任務、ノルマをこなし、さらに生活指導や事務手続き、クラス指導などをこなすことに精一杯で、子どもたちのニーズに臨機応変に応えたり、教える上での独自性や創造性を日々の授業の中に取り入れていく余裕などまったく無い先生たちが絶対的であり、その機械的な方法に対処できない子どもたちのせいなのでしょうか?

落ちこぼれだけでなく、不登校まで含めたら、一体、どれほどの子どもたちが学校での教育に「学ぶ意義」や「学ぶ楽しさ」を感じられない状態にあるのでしょう? 学ぶことが楽しくなければ、授業に集中できるわけもなく、そんな中で、いじめが起こったり、つまらない授業にでたくなくなったりしても、ちっとも不思議ではありません。

落ちこぼれない3割の生徒たちは、もちろん彼らの多大な努力があり、一所懸命勉学した結果なのでしょうが、学び意義や楽しさを感じているのでしょうか? それとも、たまたま、教育の中で求められるものや、求められている答えに、疑問をはさむことも無く、ひたすら間違いなく応え、点数を高めることを得意としているからなのでしょうか?

企業が7割の不良品を出したら、一体、どうなるでしょう? 不良品になった製品が悪いのだといって、そのままの製造過程を継続するでしょうか? あり得ないです、そんなことは。

全面的な見直しを迫られるでしょう。教育も本来同じことなのではないでしょうか?

TOEFLの試験の結果では、日本人が世界で最も低いラインにあるという結果が出ています。この試験で低いから英語ができないという証明にはなりませんが、でも、他の国々の人々のレベルと比較したら試験の結果は明らかに劣っているということは間違いないわけです。

日本で学校教育を受けているすべての生徒たちは、日本の「英語教育」を受けます。TOEFLの試験結果が、個人ではなく、日本人全体として他国と比較されたものであれば、その結果が、世界最低であるというのであれば、その教育方法そのものが効果的なものではないと言えませんか? それとも、やはり、これも子どもたちの学力・能力のせいになるのでしょうか???!!!

何か、とてもへんではありませんか?

今日は、皆様に質問を提起したところで終えます。

 

 

コメントをどうぞ

お名前(必須)

メールアドレス(必須)

URL

ブログトップへ戻る