英語を学習したい目的・理由はなんですか?
投稿日:2013年6月5日
コミュニケーションの中には、いろいろなものが含まれます。
まず、一番単純なところは、情報の伝達です。
たとえば、ニュース。私たちは、いろいろな方法で今現在世界に起こっていることを知ります。
インターネット
テレビ
ラジオ
新聞
人を通して
などなど方法はいろいろあります。
ここで、テレビを例にとってみましょう。
オーストラリアのテレビには、24時間ニュースを流し続けているチャンネルがいくつもあります。イギリスのBBC、アメリカのCNN、Foxニュース、アルジャズィーラ、オーストラリアのSBS、ABCニュース、などなど、たくさんの局があります。
例えば、回教徒の国々に起こっていることを取り上げる場合、回教徒全員、全体を丸ごと目の仇にし、偏見に満ちた報道をする(少なくとも私の耳にはそうとしか響かない)アメリカのFOXニュースの報道から得るできごとのニュアンスからだけ捉えれば、何か、そこに住んでいる人々を嫌わなければならないような感覚に陥ります。一方、回教徒の国々のど真ん中カタールから報道しているアルジャズィーラでの報道から得るニュアンスは、本当に世界のことを考え、社会のことを考え、いかにグルーバル全体の利を図るかを真剣に考えていると伝わってくるので、そこに生きている人々に対して同じ地球に共生する仲間としての親しみを感じるようになります。
それほどに、私たちが得ているニュースは、発信源によって伝えてくるものが違います。
どちらが正しいか? その判断は、歴史や世界情勢やいろいろな角度の見方で違ってくるでしょう。どちらも正しくて、視聴者の好き嫌いの問題なのかもしれません。
でも、ひとつしっかりとわかっていなければならないことは、どの情報源であっても、必ず、その情報を流す目的・意図・価値・重要性・ターゲットなどがあるということです。
情報の発信源が誰、どこ、どの立場からどのような価値観で、何を目的とする情報を報道しているのか、ということをしっかりとわかっておくことことが大事です。だからこそ、いろいろな情報源を使うことが大事になってきます。
私たちがもし、ある国を憎め、ある宗教を憎め、ある人を憎めと教え続けられたら、私たちは、きっとそれらを憎むようになるでしょう。でも、それらを愛することをずっと教えられてきたら、きっと、自然に愛するようになっていることでしょう。高校生くらいの年齢になってきたら、いろいろな情報に触れ、いろいろな角度から物事を眺めてみることが極めて大事になってきます。
受け取るだけでなく、私たちは、毎日、情報を発信しています。例えば、このブログもそうです。Facebookには、たくさんの人々からの発信があります。そのひとつひとつに、目的、意図、届けようとする相手の存在、理解して欲しいと願うことなどが盛られています。
インターネットだけでなく、個人的にも、毎日の生活の中で、会話があれば、そこには、それぞれの話し手の意図、目的、願いなどが交差します。
そして、これらのことは、全部、(言うまでもなく)言語で行われます。日本には漫画やアニメという手段もありますが、通常の情報伝達には言語が使われています。ということは、情報の受信・発信には、それができる言語が必要なのです。
それだけでなく、伝えたいこと、伝えたい気持ちがあって初めてコミュニケーションが成り立ちます。そうなると、英語という言語を学習する速度と熱意は、英語を通して得たいもの、伝えたいものがあればあるほど大きく、そして、早くなるということになります。
そうなのです。英語に上達するには、英語を使ってコミュニケーションしたい理由があり、そして、その理由が強ければ強いほど、上達は早くなります。単に、「英語に上手になりたい」だけの望みでは、掴みたいものが見えてきません。英語を使って、自分が何を得て、何を伝えたいのか、そして、英語を武器にすることで何をしたいのか、そこの目的を明瞭にすることが、英語の上達につながるのです。
「その国の言葉をマスターしたかったら、その国の人を恋人に持て」と昔から半分冗談で、半分本気で言われますが、それだけ、学びたい情熱的な理由があれば、あっという間に覚えるよ、ということなのでしょう。