若者とニュース

投稿日:2013年6月19日

ICETの授業の中に、Global Issuesという授業があります。

文字通り、世界に起こっていることを英語で理解していきましょうという授業です。ビデオやニュースの背景を説明する番組や新聞の記事など、いろいろな方法を介して、ニュースに触れていきます。

全部英語でするわけですので、最初は、なかなかと大変です。語彙のひとつひとつを辞書で調べなければならない生徒もいますし、社会や世界で起こっていることの一般的な知識がなければ、やっている内容の理解はさっぱりという生徒もいます。

でも、4ヶ月半も経った今は、語彙が増え、読解力も徐々に付き、理解の範囲は大きく広がってきています。

昨日は、DHSの10年生のEnglishのひとつのクラスが交流とレッスンを兼ねて、Global Issuesの教室を訪ねてきてくれました。学期中にこんな時間がいくつか持たれています。数ヶ月前は、会話が続かない場面もたくさんあったのですが、昨日は、半時間以上、子どもたちの自由なおしゃべりが途切れる時間がなく、熱心に会話を続けていました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

みんなが同じように進歩をしていくので、自分がどこまで進歩しているかはなかなか測りにくく、また、感じにくいのですが、こんな折は、その進歩を確認できる場となります。一緒にいらしたDHSの先生も、「初めに比べたら雲泥の差。よく話すようになっているね」と感心されていました。生徒たちの努力、そして、ICETのESLの先生がたの尽力が確実に実っているということですね。

生徒たち自身が、自分の進歩を感じているといいのですが・・・ 少なくとも、会話を続けていることに大きな喜びを感じていることは、楽しそうな表情から窺い知ることができます。上手になっているという確信が自分に得られれば、それがまた、次の跳躍への糧となっていきます。その確信を得られるかどうかは、生徒一人ひとりの感じ方にかかっています。

 

 

 

 

 

 

 

 

先生から、生徒たちがどれだけニュースを追っているかという質問がありました。

普段からニュースに関心を持ち、ニュースを見る時間を作っている生徒は、DHSの生徒の中では一人。スポーツのニュースを追っていという生徒が数名いました。インターネットの情報を拾い読みするという生徒が多かったです。

ICETの生徒たちは、数名が静かに手をあげただけでした。Global Issues(英語)でも、CAPD(日本語)でも、毎週、ニュースを必ず拾ってくることが宿題になっています。Global Issuesでは、どういう状況かわかりませんが、CAPDでは、毎週ニュースを持ってくる生徒は、約半数です。ニュースを調べてくる生徒は、なぜそれが重要なのか、そして、それに対する自分の見解も書いてきます。

提出をしない生徒は、どんな口実を並べても、理由にはなりません。そこに、関心がない、ということなのでしょう。

英語を学ぶのは、多いに結構。社会に起こっていること、世界に起こっていることを知らないままでは、言語の習得は限られます。また、習得した言語を何にどのように使っていくのでしょう? 言語だけでなく、グローバルになっているこの社会で、自分だけのバブルの中で生きていくことになりかねません。

日本もオーストラリアもあまりにも恵まれていて、社会や世界に起こっていることを知らなくても、何事もなく生きていかれるような感じがあるのかもしれません。でも、私たちの存在は、存在すること自体が、すでに人に生かされ、人を生かしているもので、相互に関わることなく存在することなどできません。その相互関係を良いものにするためには、周りに、社会に、世界に何が起きているのか、なぜ起きているのか、それをどうすればいいのか、ということを常に考えることが大事となります。

来週には、そんなことをいろいろな文化背景を持った若者たちがディスカッションし、考えるURA Forumが開催されます。

 

 

 

 

 

 

 

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