避けて通れない難題

投稿日:2013年7月11日

オーストラリアと日本は、極めて友好的な関係を維持しています。

その関係にひとつだけ、影を落とす問題があります。日本の捕鯨です。

日本から留学してくる学生たちが、決して無視して通ることができない大きな問題です。

休暇に入る前の週に、ニュースの時間に、今、ハーグの国際司法裁判所で日本とオーストラリアが捕鯨のことで争っていることをある生徒が取り上げてきました。

捕鯨が問題として騒がれているのは、もうずっと前からですが、両国民の感情的な対立となってきたのは、ここ10数年です。それまでは、日本では、南氷洋での捕鯨のことは、ネットで記事を探すことはとても難しく、せいぜい、国際捕鯨委員会での会議の内容くらいしか探すことができませんでした。

記事は、ほぼ皆無だったといっても言い過ぎではない状態でした。

しかしながら、オーストラリアやアメリカ、ニュージーランドの捕鯨反対運動が激しくなり、その阻止運動が、日新丸への捕鯨妨害と見られるような衝突事件が起こったことで、一挙に、日本でのオーストラリア、あるいは、シー・シェパード号の捕鯨反対運動家の人々に対する反発も強くなりました。

ところで、このブログを読んでくださっている方のどのくらいの方が、南氷洋で、「科学調査」という名目で、毎年1000頭近くのクジラが日本の漁船によってモリで撃たれ、殺されていることを御存知でしょうか?

日本の各地で、鯨肉が売られ、学校給食にも鯨肉が使われていることをご存知でしょうか?

オーストラリアで、捕鯨に対して極めて激しい捕鯨反対の運動が何年も続けられていることは御存知でしょうか?

恐らく、大勢の方々が、知りません、と答えられるのではないかと思います。

日本の中では、問題にもならないし、実際に鯨肉を食する方々は非常に稀で、ほとんどの方々は、鯨肉への関心を持たれていないのが現実だろうと思います。

 クジラと鯨肉は、世界中で珍重されました。オーストラリアも過去においては、クジラをたくさん捕獲し、それで産業が潤った時代がありました。アメリカもニュージーランドも、同様です。多くの人々が、栄養面でその恩恵を受けました。戦後の日本のたんぱく質源となったことは、団塊の世代の人々であれば、記憶に鮮明に残っていることでしょう。

徐々に、クジラの乱獲を危惧する声が上がり始め、1982年に、85/86年以降は、商業捕鯨は停止しようという合意が結ばれました。アメリカ、オーストラリア、ニュージーランドなどは、そこで捕鯨を停止しました。

日本は、「科学調査」という名前で、国際捕鯨委員会の承認を得て、そのまま捕鯨を継続することにしました。

そのへんからです、日本の捕鯨に対する批判が強まっていったのは。ここ10年は、非常に感情的な反応が一般市民から起こり、極めてヒートアップした議論が展開されます。

留学してくる生徒たちも、この話題にとても強い関心を示します。現在、大阪の大学で勉学しているある卒業生は、クジラが大好きで、留学中、クジラと捕鯨に関する独自のリサーチをし、とてもいい研究内容のものを造り上げました。

DHSでも、ドラマの時間に捕鯨のことが取り上げられ、日本人の生徒と現地の生徒との共同制作のドラマが創作され、全校生の前で披露されたこともありました。

捕鯨の良し悪しを議論すると、どちらの側に立っても感情的にならざるを得ないのですが、国が変わると、そして、見解が違うと、報道というものはここまで違うかという観点からの議論であれば、ある程度の客観性を持ってこの問題を見ることができます。

ハーグで何が問題とされているのかは、明日にします。

 

 

 

 

 

 

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