ある尊い死
投稿日:2013年7月12日
捕鯨のことは、明日に回し、今日は、お一人の方の死に心からの敬意と哀悼を捧げます。
世の中には、その死が社会の大きな損失となり、偉大な功績が称えられ、逝去を惜しまれる方々がたくさんいます。そんな方々の中で、私は、この方に、本当に特別な感謝を捧げ、特別な祈りを捧げたいと思うのです。
東京電力福島第1原子力発電所の元所長だった吉田昌郎氏です。この方のご逝去は、いろいろな意味をもちます。
あの地震と津波がなかったら、原発が安全、もっともクリーンで、もっとも安価なエネルギーという神話が崩れることはなかったでしょう。そして、そこからの廃棄物の処理ができようができまいが、海の底に埋めようが埋めまいが、未来に大きな重荷を残そうが、原子力発電は、ずっとずっと、「誇り」をもって、最先端エネルギーとして重宝され続けられたことでしょう。そして、廃棄物も処理ができないままたまり放題たまっていったことでしょう。
日本の国のすばらしくきれいな半島や海辺に近い一等地に、たくさん原発が造られ続け、人々は、そこから経済的な豊かさ、技術の進歩を享受させてもらっていると信じ続けることができたでしょう。
私は、大学生の頃、東工大を極めて優秀な成績で卒業したエンジニアが、東海村にある電子力発電所に勤務することになり、「すばらしい名誉だ」と、とても喜んでいたことを思い出します。東海村の原子炉が廃炉となった後には、どこに移動になったのかは知りませんが、日本の「原子力発電」のパイオニアたちの一人として、誇りあるキャリアを送られたことは間違いありません。
吉田所長も、恐らく、そんな方々のお一人だったことでしょう。あの日までは。
チェルノブイリの事故があっても、スリー・マイルズ・アイランドの事故があっても、世界中の人々が、なぜか、それらには、目隠しをすることができたのです。
でも、日本だけでなく、世界中の人々が持つ観念がひっくり返ったあの日。
この方は、住民を、国民を救うために、危険が外に漏れないようにと、全力で戦われました。原子力を相手に。機械を相手に。政府の役人を相手に。自然を相手に、そして、未来への危惧を相手に・・・
それまで原発擁護派だったドイツのメルケル首相は、数ヵ月後に、2022年の終わりまでには、脱原発にするという声明を発表しました。彼女の偉大さと凄さを感じました。世界で最も影響力のある女性No.1に選ばれたのは当然と思えます。
日本が、世界で唯一の被爆国であり、その被爆国がまたも原子力で国民がこれだけ苦しみ、そして、放射性物質は同時にアメリカやカナダの東海岸に到達していたという報道がよくあった頃のことです。
福島の原子炉で起こりつつあったことがどれほど危険であるか、それを吉田さん以上に理解していた人は、他にはいないのではないでしょうか。
吉田さんは、食道がんで亡くなったということです。
11日付けの日本経済新聞の記事には、こんなことが書いてありました。
「東電によると、吉田氏が原発事故後に浴びた放射線量は計約70ミリシーベルト。東電はこれまで「被曝(ひばく)が原因で食道がんを発症するには少なくとも5年はかかるとされており、事故による被曝が影響した可能性は極めて低い」との認識を示している。」
吉田氏が食道がんになったことは、5年経っていないから、まったく偶然であるというのであれば、次の3年の間には、一体何が起こっていくのでしょう。
私には、この方が、日本の未来の危惧を背負ったまま逝かれたような気がしてなりません。
吉田さんのご冥福を祈ります。そして、日本の未来に安全がもたらされますよう。
。享年58歳。