Malala Day

投稿日:2013年7月14日

人間は、なんらかの使命を背負って地球に降りてくる、そんなことを強く感じるスピーチです。

Malalaという少女のことを覚えておられますか?

去年の10月に通学中のバスの中で頭を銃でタリバン兵に撃たれたパキスタンの少女です。女児が学校に行くことがいけない、というだけの理由で。

一命を取り留めただけでなく、イギリスの病院での手当で、言語を話す機能を取り戻し、7月12日、国連でユース・フォーラムのために世界のいろいろな国から集まった千人の若者たちの前でスピーチをしました。

この日のスピーチは、女性の人権子どもたちの教育の権利、そして、暴力の無い平和な世界の建設を訴えたものですが、国連のグローバル世界の教育の先頭に立っている元英国首相ゴードン・ブラウン氏の計らいによって実現させたということ。

スピーチは、とても力強いものです。

http://www.youtube.com/watch?v=5SClmL43dTo

「私は、誰をも責めているわけではない。タリバンや他のテロリストたちを責めているのでもない。私は、一人一人の子どもが教育を受ける権利のために、ここに立って話しているのです。」

「弱さ、恐怖、希望の無さは、死にました。強さ、勇気、そして、熱意が生まれたのです。」

「知識という武器、団結と頑強さという鎧で力を付けましょう。そうしたら、ゴールに達成できます。」

マーチン・ルーサー・キング牧師やネルソン・マンデラのように強く、そして、ガンジーのように無暴力抵抗による平和の確立を打ち立てる精神を受け継ぎ、世界中で教育を受けることのできない5700万人の子どもたちのために自分はこのスピーチをしているのだというこの少女。

恵まれた生活の中で、教育を受けることが当たり前、いかにして名のある大学に入るかに視点をあて、受けた教育をどのように使うかを考えることさえ忘れてしまうような生ぬるい環境にある私たちの心をも奮い立たせるスピーチです。

私たちは、自分たちが受けている教育を本当に自分のものとする100%の努力をしているのでしょうか? 明日でもいいや、と学ぶこと、応用することを延ばしていることはないでしょうか? まあ、なんとかなるだろう、と。

教育は、欲しい思えば、いつでも得られる。だから、何を今そこまでがんばらなくても、と無意識でどこかで甘んじてはいないでしょうか?

ちなみに、彼女が、羽織っていたピンクのショールは、パキスタンの女性リーダー、ベネジル・ブットーのものだということです。ベネジル・ブットーは、パキスタンの大統領の娘に生まれ、彼女自身も大統領を二期努め、クーデターで国を追われた後、再び大統領選に立候補したのですが、2007年選挙運動中に銃弾に倒れ、暗殺されてしまいました。

Malalaは、地球上で、人権擁護のためにたたかってきたたくさんの偉大な人々の勇気を一身に集めているように思えます。

高い教育を受けることが当たり前にできている私たちは、その恩恵を世界に還元していくことを真剣に考える必要があります。

得るものが大きければ大きいほど、社会をよりよくするために背負う責任も大きくなる、ということでしょう。何かが起こってから奮起するのではなく、普段の生活の中で真剣に取り組むべきことだと考えます。それを思い出させるスピーチでもありました。

 

 

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