Australia Day

投稿日:2011年1月27日

 1月26日は、Australia Dayと呼ばれる祝日です。

 オーストラリア人であることを、そして、移民してきた人々ならば、自分の文化的ルーツを尊重しながら、オーストラリアの文化に融合していることを祝う日です。「The Lucky Country(幸運の国)」と呼ばれるこの国に生まれた人々は、本当にオーストラリア人であることを、そして、この国を誇りにしています。

 今年は特に、Queensland州やVistoria州の洪水で被害があまりにも甚大であったために、その悲劇が国民の気持ちをひとつにしたこともあって、この国のすばらしさ、そして、根っからの’Aussie’ スピリットを誇る気持ちが、いつも以上に高揚している印象があります。

 「愛国心」という言葉を口に出すことさえも憚らなければならない雰囲気のある日本とは対照的に、”I love Australia”、”I am proud of Australian”. と開けっぴろげにこの国の住民であることを誇り、国への愛をおおらかに表現します。

 朝早くから、ビーチというビーチでソーセージの朝食がふるまわれ、首都キャンベラでは、新しくオーストラリア国籍を得る人々に市民権が与えられ、コミュニティのために大きな貢献をした人々が表彰される特別な式典が展開されます。

 1月26日をAustralia Dayとすることには、様々な論議が繰り返されてきました。

 1788年のこの日、現在のシドニー湾に大英帝国の艦隊のキャプテン、フィリップ・アーサーが上陸し、ここが、大英帝国の領土であることを宣言しました。

 でも、この土地には、すでに4万年ほど前から住んでいた人々がいました。今は、アボリジニーと総称されている人々です。彼らは、主に狩猟で暮らしていましたが、数千人の人々を養うことができるようなウナギの養殖をしていたことを証明する場所も残っています。文字を持たないこと、鉄砲のような武器を持たないこと、そして、国家といった政治体制を持たないことが致命的に立場を弱くしてしまったのですが、Dreams Timesと呼ばれる独自の精神文化を持ち、多くの物語が残されています。自然や土地への科学的な知識も非常に高いものだったことが徐々にわかってきています。

 その先住民は、遠くからやってきた新しい侵入者に殺戮され、迫害され、その後のこの大陸の歴史の蚊帳の外に置かれるようになりました。白人とアボリジニーの間に生まれた子供は、無理やりに親から引き離され里子に出される政策が実施された時期も長くありました。アボリジナルの人々の生活は、現代でも一般のオーストラリアの生活水準からは大きな隔たりがあります。

 そうした背景がある中で、Australia Dayをヨーロッパからの入植を建国の日とすることに、長い間大きな抵抗や批判があったことは当然です。でも、今年は、その議論を耳にすることはありませんでした。恐らく、2009年に時の首相でありKevin Rudd氏が、国中のアボリジナルの人々に向けて、過去の悲劇を陳謝したことが、それまでオーストラリアの社会心理の中にひきずっていた罪悪感を少し払拭したのかもしれません。

 そして、洪水の悲劇。悲劇が起こっている間の国の危機管理や復興への支援などは、まさに、この国の低力の大きさ、そして、人々のコミュニティの中での絆の強さを見せたものであったことも影響しているのでしょう。

 ICETの生徒たちにとっては、シドニー到着後、今日がホストファミリーと丸1日一緒に過ごす最初の日です。どんな1日になったのでしょう・・・

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