エジプトの悲劇
投稿日:2013年8月19日
堪え難い。
理解できない。
人々の怒りは、いったいいかほどのものだろう。
どうしてこんな風に殺し合うのだろう。
なぜ、人を殺してまで権力を得たいのだろう。
なぜ、こんなことが許されるのだろう。
一端こんなふうになってしまったら、そこに和や秩序をどうやって戻すのだろうか。
エジプトで起こっていることを見ると、人権とか人権擁護といった言葉がいかに空回りしてしまうものなのかを痛感します。
チュニジアから始まった一連の市民運動は、「アラブの春」と称され、民主主義の台頭だと西欧諸国から歓迎されました。エジプトもその流れに飲まれ、2011年には、30年続いていたムバラク政権が崩壊しました。
そして、人々の選挙でムスリム同胞団のムルシ氏が大統領に選ばれました。その人が、ある日、軍部によって、国民の前から連れ去れられてしまいました。まったく突然に。今日からは、軍部が指導者だよ、と。
そんなことがどうして許されるのでしょう?
みんなが選んだはずの人が、幽閉される? それに抗議する人々が殺される?
そして、クーデターを起こした軍ではなく、人民が選んだ大統領を戻せと抗議する人たちが、テロリストたちだと呼ばれる?
わけのわからないことばかりです。巷では、人々が殺され、家族が殺された人々が嘆き怒り狂い、悲しみに崩れ落ち、どうしようもない絶望感と持って行き場のない怒りに包まれています。
神聖なモスクの中に逃げ込んだ人々が襲撃に怯えています。
文明が始まったエジプトの地。極めて高度な文明を生み出したエジプト。アレクサンドリアは、世界の知が集結したところ。
そんな地に、こんな悲惨なことが起こっているなんて。本当は、ムバラク政権が崩壊した時も、こんなふうに悲劇だったのです。でも、それは、「民主化」という名前で許された。世界は、むしろ、それを歓迎しました。
同じことがまた起こっています。今度は、民主的に選ばれたはずの人が拉致されるという形で。
市民には、何もどうすることもできない。この理不尽さを怒り、その流れの中で命を失っていく以外に。
エジプトもシリアと同じような運命を辿るのでしょうか。民主化? 民主化って一体何なのでしょう? 「民主化」のために、「民主化」という名のもとに、戦がたくさん起きています。
民主化とは、どうやら「平和」とは歩調を合わせていけないものなのかもしれません。