時間の使い方
投稿日:2013年9月12日
「人間は習慣の束である」「人間は習慣の産物である」「人間は習慣化された動物である」といった言葉をよく聞きます。
スコットランドの哲学者デイビッドヒュームは、人間がどれだけ理性的なものであるのか無いのかを問うています。科学が科学たる所以は、起こる原因と過程と結果に明らかな因果関係があり、その過程に説明ができる明確な定則があるということです。
でも、人間を複雑にするのは、身体という明白に定則から成り立っている要素に加えて、心、精神、感情といった定則では測りようのない、しかも、個々にみな違ったものを持っていることです。
新しい知識と体験に基づく知識、そして、そこに推測を加え、原因と結果がわかれば、当然、良い結果を求める方向に向かうのが当たり前に思えます。
例えば、 毎日練習を積んだら楽器でもスポーツでも技術を磨くことができる。毎日英語を使い続けたら上手になる。法を犯せば罪が課される。学校の規則を破ったら罰則をもらう。
みんな言われるまでもなく、明白にわかっていることです。では、みんながみんなそうするかと言ったら、まったくそうではありません。
18世紀に生きたヒュームは、習慣の問題だと言います。その考え方は、いろいろな哲学者たちに引き継がれてきて、それが見事に体制化されたのが「7つの習慣」です。
ICETの生徒たちの中には、「7つの習慣」を習ってきている生徒たちが数多くいます。習ったからその全員に習慣として定着しているかというと、答えはノーです。
その理由は、いろいろあります。それまでの習慣。これは決定的に大きなものでしょう。個々の家庭や学校での生活のリズムと習慣。それを崩す、あるいは、新しいものを追加するというのは、結構、難しいものです。
その他にも、培ってきている常識。日本の文化や風潮。個々のパーソナリティ。考え方の思考過程。体験上の達成の有無など様々な要素があります。
留学してくる生徒たちは、新しい国での学習形態の違い、価値観の違いなど、環境全体の大きな変化も大きく影響します。
自分を含め、生徒たちを観察していて、1日のリズムや習慣を変える、あるいは、新しい物を追加するには、それほど簡単なことではないということです。最初は、それまでしたことのない努力が要求されるからです。常にその時間や行動を意識、他の人々との調整を図り、その時間を生み出し、他にしたいことを蹴って実行する、という。だから、以前からの生活習慣に居座っているほうがよほどらくです。でも、そうなると無いも成就しません。
最初は大変であっても、それを続けていると自然に自分の生活の一部となっていきます。
では、何を習慣づけるのか、というのは、人生のどのステップにあるかによって違ってきます。目的、向かう方向、叶えたい目標、今の立場、必要とされていること、義務でしなければならないこと等、一様ではないからです。
しかしながら、その中にも一貫した定則があります。
それは、目的や目標を叶えるために最も効率が良く効果的な方法を習慣にするということです。そして、それを生み出したら、継続することです。
「ストイックにならないとそれはできないこと。だから、ストイックになるんだ」とある生徒が昨日言っていました。頼もしいですね。
さて、皆さんは、何を目標として、なんの目的で何を習慣付けますか?
楽しいですよ、自分の生活リズムを自分で作っていくということは。ストイックになることすらも。
そこに明確な目的と目標と、そして、叶えたいという情熱があれば。