カウラの空はどこまでも広い
投稿日:2013年9月26日
カウラの旅8
収容所跡地は、青々とした緑の草がはえ、遠くに見える丘のふもとはキャノーラの黄色で飾られていました。
捕虜となった兵隊さんたちもこんなきれいな景色を楽しめる季節もあったのですね。もっともキャノーラの栽培は、ここ数年盛んになってきたものなので、収容所の周りが当時こんな華やかな黄色に縁取られていたのではないと思います。
遠くに見える丘の手前に鉄道が通っています。その鉄道までたどり着いた兵隊さんたちが数名います。「そこで列車にひかれて死んでしまうことを考えたけれど、夜明けがくるまで列車は来ず、日の出とともに生きたいという気持ちが募ってきた」という話が伝わっています。その後、写真の左側のほうに逃げ、そこで、ブルースさん一家の農場に立ち寄ります。ブルースさんについては、そのうちに触れますので、ここでは、写真で位置関係をご覧ください。
生徒たちは、跡地の中に入って、「ハット」と呼ばれる小屋がたくさん建っていた場所を確認したり、どれだけの距離をどれだけの時間で走れるかなど試していました。
跡地を歩く生徒たちの脳裏には、どんな想いが過っていたのでしょう。
下の写真は、とても稀な場面の写真です。右側のおひげの紳士が、Mr. Edward Gavinです。このように生徒と一緒に1枚の写真に収まる機会は、極めて稀。
1980年代、NSW州では、大きな教育改革が行われていました。大きな変革がポンポンと取り入れられていくそのスピードや大胆さに、日本と比較してひどく驚いたことを覚えています。ESL-English as a Second Lnaguageを教科として、またサポートとして学校教育の中に導入するという決定もその頃になされたものです。英語圏ではない国々からの移民が多いこの国においてその恩恵は計り知れません。その推進者だったのが、当時NSW州知事の教育顧問だったギャビンさんです。
シドニー日本人学校にいる間にギャビンさんと知り合ったことが、後のICETの誕生と結びつくことになりました。ICETの英語教育が優れているのは、NSW州全体のそうした教育的な土台の上に、ESLの教授法をしっかりと身に付けた先生たちがすばらしく豊富な教材をふんだんに使い、さらに、日本から来た子供たちになんとしてでも英語を習得して欲しいと熱意をもって毎日の授業に臨んでいるからです。
そんな土台を創設した方の言葉には重みがあります。さらに重みを加えるのは、ギャビン先生が誉め言葉を口にされることは滅多にないということです。
この写真のこの瞬間に流れている言葉は、”I am proud of you. You should be proud of yourself. I know how much you have grown in the last three years.”
とこの3年間の成長を誉められている瞬間です。