大自然の中で

投稿日:2013年9月27日

カウラの旅9

こんな田舎に出てくると、普段とは違った刺激がたくさんあります。捕虜収容所跡地と日本庭園との間には、大きな岩石がゴロゴロしています。太古からころがっている岩の上で写真を撮ろうとしたのですが、ここで、また一騒動。

丈の低い灌木のような草地のようなところを抜け、岩のところに行ったら、「ヒルだ!」「すごい数!」「岩にいっぱいいる!」と叫び声。

乾燥したところに、それも岩にヒルがいようはずもなく、なんだろうと思いながらも、ともかく道路に退却。みんな大急ぎでズボンの裾や靴をはらったら、一匹、落ちたのがいました。日本語での総称はゲジゲジ? ムカデではなくMillepedeと呼ばれるヤスデのひとつ。コイルの形に丸まる細長い虫です。

自然界にいる動物や虫が、自分の前に現れたときに、どんな意味を持つかを調べてみると、けっこう、面白い意味がたくさんあり、その時の状況を示唆するものとなります。Grott Alexander Kingという人が書いた”Animal Dreaming”という本は、オーストラリアの動物に関してだけですが、どんな象徴的な意味があるのか、とてもわかりやすく説明しています。シドニーに戻り、早速と、調べてみました。

Millepedeは、Maze(迷路)ではなく、 Labyrinth(迷宮)であると何度か強調しています。「迷路のようにどちらに行けばいいのか迷うことはない。迷宮は、道は一本道で選択肢はない。でも、進めば進むほどに、常に方向転換しながら、中心(人間の本質)の周りをまわり、抜け出すためには、到着したところでUターンしてもう一度同じ道をたどらなければならない。それは、どういうことかというと、人間は、常に、肉体だけで留まるものではなく精神的に崇高なものを求めるものであり、迷宮は、人生の旅そのものを象徴している。エゴを抑え、エゴとの和を求め、恐怖に立ち向かい、内面の闇を打ち負かすことの象徴。時には、簡単にできる。時には、長い時間を要する。でも、終わりがないと感じる時には、始めと半ば、そして、終わりがある、そして、その終わりは抜け道のない終わりではなく、罠があるものではないLabyrinth(迷宮)を思い出すといい」という説明がありました。

ヤスデは、地上に存在する最古の動物のひとつです。日本人墓地と日本庭園と捕虜収容所を結ぶ道に、太古の石がゴロゴロところがり、そして、そこには、ヤスデがたくさん住んでいる。穏やかで安全であった収容所で、「死」か「生」かの選択を迫られ、懊悩の1日を過ごしただけでなく、そこに至るまでに、戦場という私たちの想像を絶する極限の地で「死」と「生」に毎日直面しなければならなかった兵隊さんたちが最後に行き着いたところは、地球の最古の自然の魂で守られ、そうした懊悩の無い場所なのだということの象徴のように思えました。

 そして、今、この地上で生きている私たちは、人生のいろいろな難問にぶつかり、到底解決できそうもないと思うことに、しばしば遭遇します。その時に、エゴを使い過ぎることなく、人間が本質的に必要なことはそんなに複雑なものではなく、むしろ、ヤスデのように、飾らず、体裁を考えず、意地とか勝つとか負けるとかいったことに執着しなければ、人生をもっとらくに生きることができるのではないか、というメッセージだったように受け止めました。

夕刻、カウラの町のショッピングセンターに食料の買い出しに行き、その後、宿舎に。

カウラには、有名な天体観測所があります。ハワイの天文台についで、世界で最も星空が美しく見えるところと言われていて、望遠鏡は、オーナーが独自に開発したものです。過去にたくさんの生徒たちが、この天文台で夜空に広がる天体のロマンを楽しみました。肉眼でも、天の川が手に取るように近くに見えることもあります。

今年は、たまたま満月と重なったので、星が見えないことは始めからわかっていました。でも、月の表面がはっきりと観られると多少の期待はあったのですが、空の大半は、雲で覆われていました。雲が晴れれば、夕食を早めに切り上げ、天文台に行こうということになっていました。

カウラの町から宿舎までの帰り道。もう、外は、相当に暗くなってきていました。私の車には、男の子が4人同乗。

普段男の子たちがおしゃべりをしているところに居合わせるような機会は無いので、彼らの会話は、非常に新鮮でした。小さな頃に好んでしていた遊び、少年時代のたくさんの思い出話、お父さんの生き方と職業(いかに彼らがお父さんを尊敬しているか)、ブラックホールの正体は、UFOを信じるか、天体の無限の向こうには何があるのか、将来の夢、月や火星に行きたいかどうか、月に土地を買った話、などなど様々な話題が出ました。

「あれ、何? 雲の向こうに見えた光?!」「えっ、まさかUFO???!!」

雲に覆われた空に、チラっと何かの光が見えたのです。

その光は、見えたり隠れたり。そのうちに、「月だ!」

そう、満月の月が、雲間から顔を出しそうになっていたのです。もう大変。車の中は大騒ぎ。私も見たい。スピードは落ちる。どんどんと前を行くバスと離れていきます。

道がくねるたびに、月の位置は、右に左に、そして、まっすぐ前にと移っていきます。そして、月のまわりに雲が徐々に動き、月は、どんどんと大きく、オレンジとも言えるほどに明るくなっていきます。その美しさに、感動の声の連続。やがて、ダムの前に。車を止めて写真を撮ろうとしている間にも、月は、再び雲に覆われ始めていました。すごい早さでどんどんと雲に隠れていきます。でも、その裏から発せられている光は、ダムの水のさざ波の上で踊り、言葉にできないほどに美しい光景を作り出していました。

月の影響は大きく、満月の時には、人々のコミュニケーションが上手にいかなくなるという話がよくある、というコメントをきっかけに、残りの車内での会話は、満月の時に、奇妙な会話の体験をした話となり、再び盛り上がっている間に、宿舎に到着。長い1日でした。

 

 

 

 

 

 

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