車中での会話
投稿日:2013年9月30日
カウラの旅 最終回
いよいよカウラの話も最終回となりました。おつきあいくださってありがとうございました。
ちょうど休暇中で学校が静かなので掲載する行事などがなく、このブログもゆっくりと旅のいろいろな面に触れることができました。生徒たちは、このすばらしいお天気に恵まれて、いろいろなところに出かけ、楽しい時を過ごしているようです。この休暇中に二人がお誕生日を迎え、そのpartyも楽しかったようです。オーストラリアで迎える誕生日は、また格別なのでしょう。
さて、旅の最後の日は、もう、来た道をひたすら戻るだけです。前夜は、どのキャビンも3時頃、あるいは夜明けまで話をしていたということで、バスの中ではみなぐっすり。私の車は、今度は女の子が三人。男の子たちとの話とはかけ離れて違う話題でしたが、今回も話は途切れることなく会話が弾みました。
お料理の事、覚えたお料理、覚えたいお料理、ホストマムたちの腕比べ、日本のお母さんの腕比べ、好きなレシピー、保存料がいかに危険かの話、体内に入れるものの大切さ、文化の違い、学習へのアプローチの仕方の違い、フォーマルのために購入したドレスの話、ファッション、男の子の話などなど。楽しい、楽しい時間でした。
その中で、みんながしばらく深刻になり、真剣に考えたことがありました。
「100%自分を注入して本気で取り組んでいるのに、それに対して、どのくらいがんばった?と聞かれると、70%とか80%とか言ってしまって、どうしても100%だとは言えない自分がいる」という話が出ました。これは、一人の話ではなく、三人ともそうだというのです。一体、なぜ、自分はこれに100%の努力をしたと言えないのか、その原因はどこにあるのだろう? 何が、自分の正直な表現に制限をかけてしまっているのだろうか?
この事実は、私にとっては、目が覚めるようなことでした。何かのおりに、別々の教科で先生たちが努力の注入がどのくらいかと尋ねることがあるのですが、私が尋ねる際にも、実際、「100%」と答える生徒は、こう言われてみるといないのです。どこから見ても全力を尽くしているとしか見えない生徒が、70%とか80%と言うのです。
100%でそれだけ?と周りからジャッジされることが怖いのか、自分にもっと余裕があると感じるのか、あるいは、全力を出した結果に自分が満足していないのか、などなど いろいろとその理由をみんなで考えてみたのですが、どうも、これ、というものが出ません。
その時に思い出したのが、別のおりに別な生徒と交わした会話です。
「どうやったら、もっと時間を上手に使えるか?」「どうやったら、もっとホストとの会話を増やせるか」と質問してきた生徒がいました。その生徒は、授業に常に集中し一生懸命。宿題はどの教科の先生も満足されている常にトップレベルのこれ以上できないクオリティのものを提出し、ホストは、出会うたびに会話が弾んでいることを喜んでみえる生徒です。一体、どこに改善の余地を探せばいいのか。。。そこで思い当たったのは、「もしかしたら、未来に立っているもう一人の自分がいて、その自分があなたにいつも、それでは足りない、まだ足りないよ、と話しかけているのでは?」と尋ねたら、突然に涙がボロボロ。そうだというのです。決して満足できるない自分がいつもいて、ダメだダメだと言っている、と。
「それだと、どんなに一生懸命やっても、自信にならないのよね」と言うと、大きく頷きます。
なんてことでしょう。こんなに一生懸命やって、こんなに進歩して、周りの人たちは、みな、誉めているというのに、本人はこんなに苦しんでいたのです。そこで、今の自分、今自分がしていること、今日できたこと、今日したことに視点を置き、夜ベッドに入ってから、今日の自分を徹底的に誉めてから寝ましょうよ。朝、気持ちよく起きられるわよ。そして、今日もがんばるぞ、と張り切れる。そして、夜になったら、また、今日の自分を誉める。そうしたら、自然に自信がついてきます」
そこで、ちょっと笑顔が戻ってきました。そして、出た言葉が、
「今みたいに一生懸命やっていたら、日本の両親に評価してもらえますか? この留学を?」
今度は、私のほうが涙が出そうでした。そんなことを心配しているのか、と。
「あったり前でしょう! あなたがこんなにがんばっているのだから、日本のご両親が評価してくださらないはずがないでしょう! そのためにも、自信を付けていかないとね」
その時の会話、そして、車中での会話は、子供たちが大人からのジャッジに対して、いかに繊細で敏感であるかを改めて感じさせられるものでした。そして、今度は、子供たちが70%、80%の努力だと言った時には、100%がんばっているのだと解釈しないといけないこともわかりました。誉められて然るべきことをしているのに、どういう理由かで、あえて控えめに伝えているのだということが。
子供たちは、なんて、愛おしいのでしょう。
子供たちに楽しい、そして、実り多い旅であったことを願います。今回は、学ぶだけでなく、自分たちがカウラの町に、オーストラリアの人々に貢献できたことで、充実感もたっぷりと味わえたと思います。
私にとっても学びの多い、そして、とても楽しい時間でした。
Thank you, Mr. Gavin for being with us and driving the bus when you were not particularly well.
Thank you to the students for being so good and so beautiful.