Girls Rising

投稿日:2013年10月12日

「Girls Rising」という映画を見てきました。

2000年に発足したMDGs-Millenium Development Goals (ミレニアム開発目標)は、あと2年でその目標年に達します。

貧困から起こる様々な困難を何億という人々が抱え、また、無理な開発から地球全体の破壊も広がっています。

MDGsの目標は、次のようなものです。

目標1:貧困と飢餓を撲滅する

目標2: すべての子どもたちに初等教育の機会を与える

目標3:女性を支援し男女の格差をなくす

目標4:乳幼児の死亡率を減少させる

目標5:母体の健康の向上

目標6:HIV/AIDS、マラリアなどの感染症とのたたかい

目標7:環境維持と保全

目標8:グローバル・パートナーシップの形成

各目標は、さらに細かい目標に分かれています。

ICETの生徒たちは、CAPDの授業でグループ毎にこれらのことを調べ、プレゼンし、自分たちに何ができるかを考えました。目標の6番目までは、貧困が撲滅するのと比例して向上してくるものですが、7番目になると、開発すればするほど地球環境は荒れ、人間の良識が必要とされる分野です。8番目は、世界中の協力が要る部分です。2000年にMDGsが発足した当時は、国連の加盟国すべてが参加し、先進国からは大きな援助金が毎年拠出されることになっていたのですが、リーマンショック以後は、約束の支援金を出せなくなっています。

昨日10月11日は、たまたま International Day of the Girl。2011年に国連で決定され、今年でまだ2年目です。世界中において女子が置かれている特殊な状況を打破するために女子の人権を擁護するための日とされています。その機会にということで、World Visionが、全国一斉にこの映画を上映しました。

生徒たちがせっかく学習したこと。世界で起こっている状況を映像で見ることができれば、より鮮明にその状況を理解できます。ということで、全員で夜のcityに繰り出しました。

昨夜観た「Girls Rising」という映画は、特に上記の2番目と3番目と関係があります。家にお金がなければ、まずは男の子、女子が教育を受けるのは、お金に余裕があればのこと。アフガニスタンのタリバンのように、女には教育は必要はない、という考え方をする人たちもいます。また、女子はただの働き手、売り飛ばしてもいいもの、男が好きなように扱っていいもの、という観念がまかり通っている社会は、世界中に存在します。そんな環境の中で、教育が受けられる機会を手に入れ、それによって生活が大きく変わりつつある少女たちの実話をストーリーに仕立てた映画です。

たとえば、タイのスラムに住んでいた女の子。毎日の仕事は巨大なゴミ捨て場から少しでもお金になりそうなものを集めてくること。その少女が、ある時に、タイ舞踏を習う機会を得ました。垢と汗にまみれた子どもから美しい優雅な女性にと変身を遂げた少女。

インドの大都市の路上に暮らす一家。村から出てきてお父さんは日雇いで一生懸命働きそのお金で娘たちを学校に送ります。家を得ることよりも娘たちに教育を授けることが先と考えるお父さん。なけなしのお金を出して、絵の上手な次女に絵の具とスケッチブックを買ってやります。お母さんは、路上生活に疲れ、村に帰ろうと懇願していました。そんな時、市当局から立ち退き命令が出され、住むところがなくなります。失意のお父さんは、雨にぬれながら、村に帰ると決意しました。そうしたら、今度は、お母さんが、「やっぱり、あなたは正しい。娘たちが教育を得ることがなによりも大事」とお父さんを励まします。絵の上手な少女は、たくさんの絵を描いて、それを路上で売り始めます。

ハイチに住む女の子。学校が大好きで、よく勉強していました。そこに起こったのがあの大地震。お父さんが亡くなり、お母さんとテント住まいになり、お母さんはなかなか仕事が見つかりません。彼女も、遠くまで水を汲みに行かなければならない毎日。そんなある日、学校の先生が青空教室を開いているのを発見。喜び勇んでノートを持って行ったら、「お金を払ってもらってないから、ここに来てはダメ」と言われ、しょぼしょぼと帰ります。翌日も同じことが起こりました。その翌日も。彼女は毎日通い続けます。そして、ある日、彼女は決めたのです。なにがなんでもそこから動かない、学ぶのだ、と。その意志の強さにとうとう先生は根負けし、彼女がそこにいることを黙認することにしました。

ペルーの先住民の家族。鉱山で35年も働き続け、安い賃金で家族を守ってきたお父さんが事故死。補償もなく、今度は、お母さんが同じように鉱山の仕事に。文学、特に詩に関心を持っていた少女は、勉強を続けさせてもらいます。そして、自分で詩を書くようになり、全校の前で発表するまでになりました。将来は、詩人、物書きになって、ペルーの惨状を訴えていこうと思っています。

といった具合に、いろいろな話が出てきます。他にもたくさんの例が取り上げられています。映画館で私の隣の席に座っていた女性は、始めから終わりまで、その惨状に泣き続けていました。

16歳にして、ふたつのまったく違う国で違う教育を受けることができる幸運なICETの生徒たち。教育の機会を得ることそのものがバトルである子どもたちは、いわば、対極にいる子どもたちです。ICETの生徒たちは、この映画の内容をどのように感じたのでしょう? どんな感想文が出てくるか興味深いです。

どれほど、自分たちが幸せな存在であるかを、少しでも実感し、それを自分の勉学への熱意に変えて欲しいです。

’International Day of the Girl’ について、国連のウエッブサイトでは、初等教育を世界中の子どもが得ることは極めて大事であるが、中等教育を女子が受けるようになると、教育の恩恵による目に見える変化が、その子のみならず、その子の家庭内に、結婚してからの家庭内に、そして、地域に起こってくる。教育を受けることの恩恵は、歴然としている。ぜひとも、女子の中高等教育を推進すべきとあります。

戦前、戦争中、戦後と、日本でも女性の教育は遅れていました。私は長野県の出身です。戦後、まだテレビもそう普及していない時代、現在のようにぜいたくな図書館施設などまったく無い頃のこと、私が高校生になるくらいまで、母が、お母さんたちに教養を付けてもらうためにはたくさん本を読んでもらうことが必須、そのためには、本がいつでも手に入ることが大事、と「母親文庫」なるものを各市町村に広めるために、たくさん書庫を積んだ小型トラックを運転してくれる青年と一緒に郡内を飛び回っていたことがこれを書いているうちになつかしく思い出されました。きっと、全国的にあった運動だったのでしょうが、妻となり母となる女性が教養を付けることが社会全体の恩恵になることを信じていた母は、自身が大学教育を受けた明治女として、そして、結婚で田舎に住み夫と子育てに献身することになった身として、地方に住む女性たちの教養を促進することが母なりの社会貢献だったのでしょう。

 留学に出てくる生徒は、圧倒的に女子が多いです。一昔前は、「女の子は体制から外れてもOK。少し冒険が許される。留学が大きな収穫となればいい。でも、男子はそういうわけには行かない。学校教育から外れてしまったら、後が困る」という考え方が保護者の中に多くありました。それが、徐々に、「いや、男子も留学してグローバルな体験をすることが大事。生きた英語の力を付けないと世界で活躍できない。そのためには、留学という冒険をさせてもいい。むしろ、将来にはそのほうが有利」という考え方が広まり、男子の数が増えてきました。

時代を反映するような教育が得られる若者たちは、極めて幸運です。やがては、その若者たちが時代の流れを作っていくのでしょうから。同時に、世界中にいる子どもたちが、読み書きができるよう、そして、いろいろな知識を得られるようになるための基礎的な教育が受けられることは、世界全体の繁栄、共存、そして、平和のために欠く事のできないことです。

ノーベル賞を惜しくも逃したマラーラは、「候補となったことだけで光栄。世界中の子どもたちが教育を受けられるようになることが、私への本当のご褒美だ」とあるテレビのインタビューで語っていました。

 

 

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