自分を大事にすることの意味(5)
投稿日:2013年10月27日
このテーマでは、少し間があきました。
今日は、一生、自分が付き合う人のことについて触れてみます。
一生付き合う人? 言うまでもなく自分です。
自分を大事にするということの根底にあるものは、自分を正当に評価し、自分と上手に付き合うということです。
これが、難しいのです。
自分のこと、わかっているようで、その実、わかっていない。自分のことだから、自分が一番理解しているはずなのですが、どうも、そうでもなさそうです。周りの人のほうが、自分のことをもっとずっとわかっていることだってあります。他者から指摘されて始めて気が付くことだってあります。
他者からの指摘が、いいところはもちろん、特に改善すべきことの指摘を自分へのギフトだと受け止められたら最高です。
でも、通常は、人に自分のことを指摘されると、怒ってみたり、拒絶してみたり、防御してみたり、傷ついてみたり、逆上したりします。普段自分が気にしていることだったり、後ろめたく感じがしているようなことを図星で言われたら、自分では思ってもみなかった反応をすることだってありましょう。でも、落ち着いて考えると、ああ、その通りなんだと反省したり、沈み込んだり、自分はだめだと落ち込んだり、あるいは、素直に受け入れ、直さなきゃと思うのです。
その一方で、自分でよくわからない自分を、人にはわかってもらえると期待し、わかってくれないと、その人に腹を立てることだったあります。
自分が幸せでないと、人に幸せにして欲しいと頼り、幸せにならないとその人を悪者に仕立て上げることだってあります。
なんて、複雑なのでしょう、人間は。
自分のことは、それほどにわかりにくいものなのでしょうか。
わかりにくい原因のひとつは、頭と心の乖離です。
同じ自分の中なのに、頭で考えることと、心で感じることは、往々にして違います。心で感じることを頭は無視したり否定するし、頭で考えることに、心は時に悲鳴をあげます。違うよ! と。でも、頭は、いろいろなことを正当化します。心をだますことさえできます。しかも厄介なことに、それがとても正しいように見えるし思えるのです。どんなに心が痛もうと。
なぜなら、頭で考えることは、心で感じるよりも「理性的」で、心で感じることは感情であって理性ではないと教わってきているからです。理性的にならないといけない、理性的にふるまえ、と。
でも、実は、心は大変に重要な役目を担っています。これを無視したり、抑圧したり、軽視してしまうと、自分の半分が抹殺されるのですから、自分を正当に評価できなくなってしまいます。自分を正当に評価できなければ、自分と上手につきあえるはずがありません。
自分を最も正当に評価できるところは、そして、最も居心地の良い場所は、頭と心と口から出てくる言葉が矛盾無く一直線に並ぶところです。なぜなら、頭で考えていることが、心で感じていることと一致し、さらに、他者に対して自分を偽る事無く伝えているからです。
でも、簡単にはたどり着きません。なぜなら、そこには、人に対しても、自分に対しても妥協しない「自分」の存在が必要とされるからです。
私たちは、周りの人々との関係を悪くしないために、自分に目隠しをしたり口封じをすることが多々あります。また、自分に勇気がないことを認めたくない時には、適当に自分をごまかしてしまうことが得意です。
そうなると、本当の自分は見えてきません。見えない自分とつき合えるはずがありません。
頭と心と口から出る言葉が一致しているか、意識してみてください。
自分を正当に評価するということは、良い人生を送るための基本です。それができたら、物事の巡りも良いものとなるでしょう。留学生活も、正当な自己評価ができるかどうかで、そのクオリティは、大きく左右されます。
今日は、ここまでにします。