自分を大事にするという意味(6)
投稿日:2013年10月29日
先回は、自分を知ることは難しいということに触れました。
今日は、なぜ、そんなに難しいのか、そして、なぜ、自分に厳しくなってしまうのか、ということに触れたいと思います。
留学中も、留学後も、どこに自分の意識を置くかで、いろいろなことが違ってきます。特に、成果は、大きく違います。
私たちが、忘れがちなのは、誰もが日々進化しているということです。昨日できなかったことが今日はできるようになり、昨日知らなかったことを今日は知っている。ということは、明らかにそこに何らかの変化、進化、成長があるということです。同じところに留まっている人なんて、一人もいないのです。
それなのに、残念ながら、私たちは、毎日の忙しさの中で、しなければならないことや新しく起こることに反応することだけで目一杯となり、自分の中に日々積み上げられているものがあることをあまり意識しません。
周りから入ってくる情報や周りを見渡して、ああ、もっと欲しい、もっと上手になりたい、もっとできなければ、こうあるべきあああるべき、期待に応えられていない、とさらに自分をせきたてるようなことをします。そして、なかなか到達しない自分をけなし、罵倒し、絶望し、否定し、不幸だと思い、そんな自分を好きになれない、というような状況に陥れます。あるいは、人生のどこかで、自分をダメだと思い込み、それ以来、どんな進歩があろうと、どんな変化があろうと、自分はダメだと信じ込んだままで留まってしまっていることもあるかもしれません。
そんなことをしていたら、それだけで疲れてしまうでしょう。
「足るを知る者は富み、強めて行う者は志有り」という老子の言葉があります。
私は、これをこんなふうに解釈しています。
先にあるものを追う時には、追う楽しみや挑戦する気概を感じると同時に、飢餓感や焦燥感にも襲われます。なぜなら、それらは、まだ手中にはないものであり、無いものを追うからこその醍醐味がある一方で、決して手に入らないのではないかというおぼろげながらの諦めや絶望を感じさせるものでもあるからです。
その時に、役に立つのが、「足るを知る者は富む」という言葉です。このブログで何度も強調していることのひとつは、今を大事にするということ、そして、自分の達成をまずは誉めるということです。
これから得ること、得たいことではなく、まず、自分がこれまでしてきたこと、達成してきたこと、今自分が立っている土台になっているものに視点を当て、認識し、そして、それを、ああ、こんなに積み上げてきたんだ、なんてすごいんだ、と自分を誉めることが大事なのです。
なぜ、大事なのか? 自信を感じることができるからです。自信=富なのです。
そして、その上で、新たに、もっと得たいこと、もっと成し遂げたいことに翌日挑戦したらいいのです。その日の終わりには、また、その日に新たに積み上げた体験を誉める。その達成感を翌日のエネルギーにする。
そんな繰り返しが、大きな蓄積という富になっていきます。そして、そんな毎日の挑戦が、やがて、すばらしい志として実っていきます。「強めて行う者は志有り」と。
志に導かれて努力するものよし、努力の結果が大きな志として実るものもよし。どちらでもいいのです。でも、大事なことは、自信を感じながら、それを土台にさらに大きく跳躍してみるということです。それが、いずれ、夢の実現にとつながっていきます。