未来を稼ぐ
投稿日:2011年1月31日
日本では、学校の年度の初めは始業式というきちんとした形があります。
オーストラリアの学校には、卒業式はありますが、始業式というものがありません。5歳9か月になったら小学校にあがる(今は4歳9か月になったら幼稚部K1に)という昔からの習慣があり、誕生日を迎えるとバラバラに学校に入ります。ハイスクールになっても、始業はバラバラです。
Davidsonでは、今日が、7年生とシニア。明日の2月1日が8年生、9年生、10年生の始まりです。ICETの生徒は10年生ですので、明日から、現地の生徒との正式な時間割で授業が始まります。
今日は、1日かけて、IELTSの試験が実施されました。このテストは、あくまでも、この1年の自分の進歩の軌跡を見るだけのものです。でも、どんなテストでもストレスであることは確かでしょう。生徒の皆さん、ご苦労様。
入り口は、どこにいてもいいのです。大事なことは、今のレベルからどこまで伸ばせるか、伸ばす努力ができるか、です。みなさんの仕事は、勉強することです。稼ぐことです。ご両親が投資してくださったものに見合うだけの、それにまさるだけの、未来に向けた知識と技能を身に着けること。それが、あなたたちの稼ぎです。
英語を武器にすることができれば、世界の人々と交流することができ、世界の舞台での活躍が可能となることは言うまでもありません。そして、この1年の様々な体験が、そうした活躍を可能とする度胸と技量を培っていきます。
そのためには、何事にも、チャレンジすること、体当たりすることです。
到着から1週間が経ち、梅井先生が全部のホストに電話してくださいました。みな、出だしは上々。とても、上手にオーストラリアの生活に飛び込んでいるようです。
スワンヒルでも、それぞれのホストファミリーに落ち着いたようです。今日は、町にショッピングに出てきたファミリーもありました。ホストがお仕事で昼間一人になってしまうという生徒がいたのですが、12月から1月にかけて日本でお世話になったマキロップの生徒がお家に招いてくれました。
互恵の精神が築かれていることは、嬉しいことです。
互恵と言えば、昨日ご紹介したMiss Kursty Kneeもその一例です。彼女は、2003年度に学芸館高等学校に1年間留学しました。大学で日本語を専攻し、今年から、MacKillop Collegeで日本語を教えることになりました。そして、週に6時間ほど、今年の4名の生徒のサポートにあたるよう、カレッジの校長先生がアレンジしてくださいました。Miss Kneeは、4名の生徒たちの気持ちがよくわかるでしょうし、自身の体験から、どんなサポートをしたらいいのかよく見えることと思います。それは、彼女が、日本に留学していた時に、彼女に差し出されたサポートへのお返しでもありましょう。
留学の体験が、双方に向けて、年齢を超えて生きていることは嬉しいことです。
シドニーから約1000キロも離れたスワンヒルでICETのプログラムが始まったのも、そうした互恵関係からでした。
1998年にMacKillop Collegeの時の校長先生Bob Shaw氏と日本語の先生Paul Apostolou氏(以後Mr. A)がシドニーに訪問されました。ICETのプログラムをどうしてもMacKillop Collegeに持って来たいということなのです。Mr. Aも、高校生の時に岡山学芸館に留学し、そのすばらしい体験を、日本人の若者にオーストラリアで味わって欲しいという強い願いからでした。
そのプログラムが過去2年途切れてしまっていたので、今年は、来年度に向けての試金石です。あらゆる方向から強い支援を感じることができるのは、大変にありがいたいことです。
互恵が双方から感じられていることの証しなのでしょう。