見えない壁を打ち破る

投稿日:2013年12月3日

Elephant Chain Syndromeという言葉があります。

赤ちゃん象が鎖で柵につながれ、しばらくは暴れて逃げようとしても、そのうちに逃げられないことがわかると、徐々に逃げることをあきらめるようになります。2ヶ月もあれば、もう逃げられないと観念してしまうそうです。そんなわずかの時間で。

どうなるか。タイやインドの田舎に行くと、大きな大きな巨大が象が、ロープ1本で、あるいは、細い鎖でつながれ、おとなしくしています。5トンも7トンもあるような巨大な象です。

そこから逃れようとしたら、簡単に振り切れるものです。ところが、それをしない。できないと思い込んでしまっている。

そんな状態を指す言葉です。

先日、ちょうど、この話を生徒との面談の中ですることがありました。

ものすごい力があり、すばらしい活躍をし、キラキラしたものを体中に秘めているのに、自分はダメ、足りないと思ってしまう気持ちのほうが強く、力があると認識できないというのです。それがどこから来ているものなのかを二人でたどってみました。それは、どうやら、小さな頃に、周りを見て、ああ、すごい、こんな人がいる、自分もそうなりたい、でも、到底なれそうにない、と思ったことが、ずっと、今に至るまで続いているようなのです。

この赤ちゃん象の話と重なりませんか?

私たちには、こんな思い込みがたくさんあるのだと思います。小さな頃の印象、小さな頃から言われ続けてきたこと、小さな頃に体験したことなどが、しっかりと記録のどこかに残り、潜在意識として、私たちの体や心の中に巣食ってしまっています。

そして、自分の周りには、新しいことが起こっても、その潜在意識を取り除くことに役立てるよりも、むしろ、その潜在意識に軸を置いているから、ほらね、やっぱりそうじゃない、とその思い込みを確認できるようなことを探し続けてしまいます。そして、新しいことやすばらしいことができるようになった自分を誉める代わりに、それでは足りないよ、期待には応えられていないよ、と責め立てていくのです。

わずか2ヶ月でこんな思い込みが潜在意識としてできあがってしまうとしたら、恐ろしいことです。

社会には、残念ながら、その潜在意識をさらに強めてしまうようなことがたくさんあります。そのために、長い物には巻かれたほうが安全、強い物には従ったほうが安全、わざわざ荒波を立てる必要もなく、じっと耐えていればいい、ということになりかねません。その結果、どうなるか。ひきこもってしまったり、うつの状態に陥ってしまったり、不登校になったり、命を絶ってしまったり、と社会から身を離してしまうようなことになりかねません。毎日の生活の中で、なんとかしたいと思うことがあっても、思い切ることをしないまま毎日を引きずってしまうこともあります。

自分たちの中にすばらしいパワーがあることを忘れてしまっているのです。そんなすばらしいパワーがあることにすら気付いていないのかもしれません。

ほんのちょっとしたきっかけで、あるいは、ちょっとした変化を自分の中で起こすだけで、いろいろなことが違ってきます。そして、自分が輝くことで、そのこと自体が社会に貢献できていることなんだという自覚を持つことができるようになります。

こんな例があります。

ある生徒が、ホストとどうしてもうまく行かない。何を試しても空回り。どうしていいかわからない。チェンジするのは面倒だから、自分があきらめればいいことなのか、という相談をしてきました。「何をやってもムダ、今更何かが変わるはずもない。そんな努力は無理。ムダになるだけ。絶対変わらない」と、延々2時間近く、その強い思い込みとの押収が続きました。

そして、数週間経ったある日、「自分が変われば、周りが変わる事がわかった」とはにかみながら、伝えにきてくれました。今では、輝いています。今度は、別れたくないと訴えてきます。

私にとって、これほどに嬉しい言葉はありません。この若者が、そのことを自分で体験したことは、それだけで留学に来た価値があるほどに、人生の中での大きなできごとです。これは、赤ちゃん象の時に付けられた鎖を自ら引きちぎった瞬間だからです。思い込みを捨て去った瞬間に、新しい世界が目の前に開けてきたことを体験、実感した瞬間だからです。

私たちは、自分の感覚、自分の受け止め方以外に、世界を見る方法を持ち合わせていません。相手がこう思うに違いない、と思うことも、自分のフィルターを通してです。あの人はこんな人というのも自分のフィルターとものさしを使ってのことです。こんなふうに自分に期待がかかっている、されていると考え、感じるのも自分です。外界からのすべての刺激をどのように受け止めるかは、すべて、自分の中に詰め込まれている感覚によるものです。

その感覚というフィルターのどこかに、小さな頃からの体験を通しての「見えない壁」「思い込み」が存在します。

再び詰め込まれる透明なガラス箱も同じことなのです。

透明なガラスの壁は、見えない壁です。でも、そこにあると信じている壁です。

その壁に、自分が体験した1年は夢だったからその夢はもう忘れようと壁紙を貼って見えないようにしてしまったら、本当に壁ができてしまいます。自分の過去と、自分が積んできた宝物と自らを引き離すことになってしまいます。

ガラスの壁は透明です。外には、広い世界が、無限の空間が、未来の輝く夢が、多くのすばらしい体験と絆が、自分が過ごしたたくさんの楽しい時間が、見えています。そこに届こうとするのは、自分の気持ちと意思です。

ガラスの壁は、本当に存在しているのでしょうか?

留学だけのことではありません。このガラスの壁は、誰の心にも日常存在するものです。

もし、それが自分の思い込みだけのことだったら??? その思い込みが一体、どれほどの可能性を妨げてしまっているのでしょう???

それを外すのは、自分です。それを外す事ができるのは、自分だけです。

 

 

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